都内で職人をやってるって話
はじめまして。maryと申します。
近頃、会う人会う人に、そこまでわけの分からない人生を重ねて来ちゃったんなら是非文章で残しておきなさいよと勧められたので物は試しとブログを開設いたしました。
簡単に自己紹介をば。
都内で壊滅的に勉強が苦手な小学生をしていた私は、将来を不安視してくれた幼なじみの親御さんの勧めで大学までエスカレーターの中学をよくわからないままフワッと受験。
算数は何も出来なかったんですが、国語の長文読解の問題文がたまたま丸暗記してた本で、うっかり数字が取れてしまいちゃったり合格。
これで大学まで安心だわと胸を撫で下ろしていた両親に、突然大学は関西行くわと宣言し、いざ京都。受験。
合格して親の度肝を抜きました。高校時代部活と課題しかしてなかったからね!
そこでスパルタゼミ持ち教授2人と出会ったのですが、結局彼らの専門はピンと来ず、なんでもやっていいけど卒業は保証しねぇから勝手にやりやがれと公言する教授のゼミで伸び伸び育ちました。
偏屈な教授の元には個性豊かなゼミ生が集まってたのですが、変は変同士妙に気が合い、仲の良いゼミでした。
フィールドワークだー!と元気に山を登って迷子になったり、中国弾丸ツアーいって平均睡眠時間2時間でラクダに乗ったり、実験室に私物持ち込みすぎて怒られたり、実験釜でピザ焼いて怒られたり、それはまあ色々とあったってか怒られてきたんですが、そんな貴重な経験の一つとして、とある職人さんとお話をする機会を得ました。
伝統工芸という業界全体の高齢化が進んでいる。
なぜかと言えば、技術はあっても食えないので、後継者が減っている。
現場の生の声は切実でした。
大量生産大量消費の時代は終わろうとしてるのに、悠久の歴史の中で培われた技術と文化が先になくなろうとしている。
これは由々しき事態なのではないか、そう思った日から、四年が経ちました。
そんなわけで、私は今都内で職人をしています。
今のところ一番年の近い同僚は70歳近い親方です。
夏は40度、冬は2度、たまに土壁が崩れて落ちてくるワイルドな職場で、今日もたくましく生きぬいています。
不思議な職業についた私の目からみた社会には、これまた不思議なことがたくさんです。
気まぐれ更新な予定ですが、よかったらお目を通して頂ければ幸いです。